こんにちは!
「コーチビジネス研究所」を運営している中小企業診断士、
銀座コーチングスクール埼玉校代表の五十嵐 久です。
あなたは、”会社に依存せず、自分らしい生き方とやり甲斐が 得られる”
そんな仕事を手に入れたいと思いませんか?
私は会社に入って5年目の時に、大きなミスをしてしまい、
会社を辞めなければいけない状況に陥ったことがあります。
このことが、その後の私のキャリア形成に大きな影響を 与えることになりました。
新潟県小千谷市の出身
私が生まれ育ったのは、新潟県の小千谷市という所です。
冬は雪に閉ざされ、陸の孤島と化す小さな村で 生まれ育ちました。
高校まで片道約8キロ、冬は交通手段がないため、
細い雪道をただひたすら歩いて学校へ通っていました。
中学・高校時代はテニス部に所属し、365日ほとんど毎日
クラブ活動に熱中して いました。クラブが終わって、
暗い雪の夜道を帰る時は心細かった のを今でも想い出します。
お陰で足腰だけは、自然に鍛えられたのかもしれませんね。
「読売新聞育英奨学生」として過ごした大学4年間
こんな片田舎から東京の大学へ行くことなど、
当時はかなり厳しいことでした。
両親に「東京の大学へ行きたい」と相談したとき、今は亡き父から
「お金は出せないが、時間はやる、行きたければ自力で行け」と言われました。
私の家は農家でした。 村の多くの人は農家の後継ぎとして
農業を継ぐのが 当たり前の ような時代です。
当時の状況からすれば、東京の大学へ通う時間をもらえただけでも
幸せだったのかもしれません。
こんな状況の中で、どうしたら学校へ行くことができるだろうか?
今のようにインターネツトもありませんでしたので、
情報も少ない中で、 高校の先生から『新聞奨学生制度』
というものがあることを教えて頂きました。
こうして、「読売新聞育英奨学生」となり、
都内の文京区にある新聞販売店に住み込みで
新聞配達・集金・セールスをしながら学校へ通うことになりました。
毎朝3時半頃に起きて、新聞や折込みチラシを入れます。
その後約300件を2時間半位かけ、走って配達します。
もともと忍耐強い性格だと自分では思っていたのですが、
雨や雪の日など 何度涙を流したかわかりません。
朝刊を配り終わって急いで学校へ行き、
夕方4時頃帰ってきて、 今度は夕刊の配達です。
そして夜は新聞代金の集金、新聞のセールス(勧誘)という
仕事が待っていました。
勉強時間を確保するのも大変な日々でした。
当時は今と違って休みも少なく、過酷な労働条件のもと、
まさにタコ部屋と称するような生活を余儀なくされ、
労働争議も多かった時代です。
学校に通っている周囲の学生が羨ましく、
毎日「辞めたい、嫌だ、なぜ自分だけが こんな目に遭わなければ
いけないのか」などと紋々とした日々を過ごしていました。
そんな時、当時の販売店店長から『米百俵』という一冊の本を
渡され、諭されます。
「この経験は必ずいつか活きる時がある。 今、自分に何ができるか
を考え、 とにかく目の前のことに 全力で取り組め・・・」
確かに「辛い」とか「嫌だ」と思っても何の解決にもならないんですね。
そして、それからは「今、自分に何ができるだろうか?」
「どうしたらもっと効率的に仕事ができるようになるだろうか?」
と考え、実行するようにしました。
不思議ですね。 このことが一つのきっかけで、
あらゆることが好転する ようになりました。
辛さは何も変わりませんでしたが、集金やセールスのやり方にも
いろいろと工夫の余地があることがわかりました。
一つ例を挙げれば、長く購読して頂いている読者の皆さんにこそ
徹底的にサービスするということでした。
このことによって、セールスをしなくても購読継続率も上がり、
新しい読者の皆さんを紹介して頂けるようになりました。
何事も一所懸命取り組めば道は拓けると確信することが
できた出来事でした。
いろいろなことを経験し、多くの人と出会い、
その後の私の人生に大きな影響を与えた4年間でした。
大学卒業後は公的な中小企業支援機関に勤務
私の担当する読売新聞の配達区域は、文京区の小石川です。
中小の印刷・製本業者が集積する地域でした。
幸い読者の皆様に、とても温かく親切にして頂きました。
毎年、元旦の朝、新聞の配達に伺うと門の前で待っていてくれて、
お年玉を下さるお客様がいらっしゃいました。
そのお志には今でも感謝の気持ちでいっぱいです。
4年間続けることができたのも、こうした読者の皆さんの
温かいご支援があったからだと思っています。
集金の傍ら、いろいろと経営のお話などをお伺いすることも
多くありました。 この経験が、このような中小企業の皆さんを
サボートする仕事に 就きたいと思った原点です。
以来、公的な中小企業支援機関に勤務し、30年以上にわたり
中小企業支援一筋で仕事をしてまいりました。
勤め先での大きなミス、自分のキャリアを見つめ直すことに・・・
ところが、入社5年目の時に大きなミスをしてしまいます。
仕事で使うある債券の紛失事件を起こし、大騒ぎになりました。
結果的に見つかったことから、会社に損害を与えることはなかった
のですが、一時は会社を辞めなければならないと覚悟しました。
ただその時に、「自分はこの会社を辞めたら何ができるだろうか?」
と考えて愕然としてしまいました。「何もない・・・」。
会社に依存しないで、市場で生きる力をつけることが必要だ
と強く感じました。
このことが一つのきっかけになり『中小企業診断士』という資格に
挑戦することにしたのです。
会社の仕事との関連も深く、すぐに仕事にも活かせると考えたからです。
恩師との出会い
そして、28歳の時、中小企業診断士の資格取得を目指して、
大手専門学校に通うことにしました。
土曜日、日曜日だけの少人数のゼミナール形式のスタイルの
クラスを選択しました。
20名弱の少人数のクラスでしたので、受講生同士の交流も図れ、
とても楽しく授業に臨むことができました。
この時の受験生仲間との交流は現在も続いており、
私の貴重な財産となっています。
ご指導を頂いた先生は、大手電機メーカーの人事部長だったN先生でした。
大手企業に勤める傍ら、中小企業診断士の受験指導を されていました。
N先生は、子会社の社長なども経験され、ビジネス経験が豊富で
分かりやすい指導が 好評でした。
いつもニコニコ、笑顔がステキな温かくて面倒見の良いお人柄もあって、
とても人気があり、多くの合格者を輩出していました。
このN先生との出会いがまた私の人生に大きな影響を与える
ことに なります。 「N先生のようになりたい!」
いつしかN先生に憧れ、N先生に師事することになりました。
N先生はいつも言っていました。
「これからは、会社にだけ依存するのではなく、
社会で生きる力 をつけることが必要だ」と・・・。
大手企業の人事部長という要職にありながら、まさにそのことを実践し、
生きがいをもって取り組んでいる姿が まぶしかったです。
平日は1日3時間、休日は10時間位、毎日勉強しました。
大学の受験勉強はほとんどしなかった私にとって、
こんなに勉強したのは、まさに生涯初めてでした。
でも、勉強が楽しく、あまり辛いと感じることも
ありませんでした。
幸い、無事に中小企業診断士試験に合格することができ、
30歳の時に中小企業診断士として登録しました。
その後N先生の薦めにより、N先生と同じように、
会社に勤める傍ら、その専門学校で中小企業診断士の
受験指導に携わることになります。
さらに、N先生のサポートにより、
中小企業診断士の受験参考書ですが、
本も4冊執筆する機会を頂きました。
こうした活動は、会社の承諾を得て行ってきた
ことではありません。
就業規則上は会社の承認を得なければ許されないことです。
その意味では批判を受けても仕方ないことです。
私ももちろん葛藤はありました。後ろ指を刺されないように
するために、会社の仕事も人一倍頑張ってきたつもりです。
体力的にもきついと思うこともありましたが、
精神的な充実感 の方が大きかったです。
お金を目的に始めたわけではありません。
スキルアップが目的でした。
私にとっては副業という意識はなく、あくまで本業である
会社の仕事に活かすためにスキルアップの一環として
やってきたことでした。
ですから副業という言葉はあまり好きではありません。
結果的に、スキルはもちろんですが、
人脈などの面でもプラスになることの方か大きく、
会社へも貢献できたと思っています。
このように中小企業診断士の資格を取った後は、
セミナーや 本の執筆といった形で、
会社以外の仕事の幅もどんどん広がって いきました。
人材育成への興味・関心の広がり
その後人事部へ配属になり、教育研修事業に携わることになります。
多くの会社を見てきて、たくさんの経営者に出会い、
会社経営にとって人材育成が 何より大切なことであると
感じている時でした。
そしてこの異動を機に、今度はある研修会社が行っていた
人材育成コンサルタントを 養成する
『人材育成コンサルタントアカデミー』へ参加しました。
受講生は、大手企業の人たちばかりで、
皆さん会社からの派遣で 参加している方々でした。
私は、会社に依存しない生き方をするために、
高い受講料でしたが 自費で参加しました。
1年間、週末を使っての研修でしたが、とても楽しかったです。
ここに参加したおかげで、いろいろな企業から研修講師の仕事も
頂くことができました。
人材育成・研修という仕事はとてもやりがいがあり、
この研修会社からお誘いを頂いたことなどもあり、
一時は研修講師として 独立する道を歩もうかと
真剣に考え、悩みました。
結果的に、研修講師の道へは進みませんでした。
研修の仕事、教える ということの限界を 感じてしまった
こともあります。
もっと地に足の着いた効果的な研修手法がないだろうか?
そんなことを考えている時に、当時から心の悩みを抱えている
社員が目立つようになり、社員の心の問題というものに
関心を持つようになりました。
そして今度は、産業カウンセラー協会が実施している
カウンセラー養成講座へ通って、カウンセリングの勉強を始め、
産業カウンセラーの資格を取りました。
カウンセリングで学んだ傾聴ということが、
現在のコーチングの際にも役になっていると感じています。
ただ、どちらかと言えば心の悩みを抱えている人が対象ですので、
カウンセリングでは解決できない問題も多くあるのが現実でした。
もっと前向きに課題に取り組めるものがないだろうか?
コーチングとの出会い
そんなことを考えている時、カウンセリングのテキストの中で
コーチングという言葉に出会いました。コーチングって何だろう?
そして調べていくうちに、 コーチングというものに興味を持つ
ようになりました。
中小企業診断士はコンサルティングの資格です。
コンサルティングは、コンサルタントが持っている知識や情報を
提供するということにウエイトがあます。
カウンセリングは、心の悩みを抱えている人を主な対象として、
どちからと言えば、過去に向き合って自分を見つめていくことで、
気持ちの整理をすることを目的とした相談援助です。
それに対して、人間が本来持っている可能性を引き出し、
気づきを与え行動変容をもたらすコーチングというものに出会い、
強く魅かれるものがありました。
一人ひとりが持っている可能性を引き出し、主体性が活かされる。
これこそ、本来あるべき姿ではないか・・・と考えました。
そして、銀座コーチングスクールでコーチングを学び、
2005年10月に同スクールを修了し、認定コーチとなりました。
更にコーチとしての幅を広げるため、
2013年には、一般社団法人日本マーケティング・コーチ協会で 学び、
同協会認定のマスターコーチになりました。
あらためてコーチングを学び、読売新聞奨学生として過ごした
大学生活4年間を振り返った時、私の小さな経験ではありますが、
“質問を変えれば人生は変わる”ということを実感している今日です。
経営者の皆さんとお話をさせて頂く際にも、
このコーチングを 学んだおかげで、
経営者の皆さんとのコミュニケーションもより円滑になり、
大きな成果が生まれています。
人材育成・教育研修においても、社員自身の力を引き出すうえで
いま「コーチング」が注目されています。
「コンサルティング・コーチ」として
私は、これまで学んできた『コンサルティング』『カウンセリング』
『コーチング』の 3つのスキルを活かし、一人ひとりの状況にあった
柔軟な対応ができる『コンサルティング・コーチ』を目指しています。
目標を持って頑張っている人は、皆さん魅力的です。
そんな人を応援できるコーチという仕事に
生きがいとやりがいを 感じています。
そして、こんなコーチングの素晴らしさを一人でも多くの人に
伝えていきたいと思っています。
銀座コーチングスクール埼玉校を開講
“すべての人にコーチングを”
コーチングスキルを身につければ、
自分が変われ、 社会をも変えられるのではないか?
“魅力あるコーチが一人でも増えれば社会が変わる”
コーチングの魅力を一人でも多くの人に伝えたいとの思いで、
2013年、銀座コーチングスクール埼玉校を開校し、
認定プロコーチの養成を行っています。
コーチという仕事は、大きな可能性をもった
とても魅力的な仕事です。
あなたもそんな魅力あるコーチになって社会を変える力になって ください。
五十嵐 久
コーチビジネス研究所
銀座コーチングスクール埼玉校 代表
中小企業診断士
銀座コーチングスクール(GCS)認定プロフェッショナルコーチ
一般社団法人日本マーケティング・コーチ協会マスターコーチ
産業カウンセラー・キャリアコンサルタント